天気も良いので、今日はひとり吟行へ出かけます。
と言っても近所です。
関西医科大学附属病院まで行き、
病院の横を通って淀川まで出ました。
こんなに桜がきれいに咲いているの知らなかった。
桜並木を歩いていると、桜をついばむ雀を見つけた。
並木を抜けるともうそこは淀川の堤防。堤防に上る前に花壇があった。
堤防にでるとこんな掲示板が。
掲示板の内容は、下記にコピーしました。
木津川の残石
この花崗岩の切石は、徳川幕府2代将軍秀忠が、1620年(元和6年)からおよそ10年の歳月をかけて行った大阪城再建に際し、木津河畔の京都府相楽郡加茂町から切り出された石材の一つです。当時山城国相楽郡の一部を治めていた藤堂嵩虎が普請を行なうにあたって領内の加茂・笠置付近の石材に注目、嵩虎が担当した城内の石垣や城壁などに用いられました。元和9年(1623)点在した残石を調査した記録には約500個もの石が記録されていますから、当初どれほどの石材が切り出されたのしょうか。
これらの残石は、その後大阪城の修復用に用いられましたが、木津川が流す大量の土砂に埋もれいつしか忘れられていたのを、1975年(昭和50年)11月、加茂町大野の木津川原や赤田川河口付近の護岸工事の際、数十個の残石が発見されました。
現在木津川流域で赤田川河口中心に約60個ほどの残石が確認されていますが、大阪築城の壮大さもさることながら、これだけの巨石をも運んでいた淀川を中心にした舟運の状況は、人々と河川の重要なつながりを語るにふさわしい歴史の一駒です。 平成15年7月設置 淀川事務所
上の写真が残石だ。こんな大きな岩を船で運んでいたのだ。
お城まで届かなかった石の春
えつこ
堤防を枚方市駅の方から、枚方公園駅の方へ歩いた。
堤防には蒲公英や踊子草などが咲いた。
時々すかんぽらしきものを見つけるが、
はっきりとそうだと言えない。
ひとり来てすかんぽを噛む酸っぱすぎ
すなお
ひとり吟行はやはり淋しい。
昔も今も、豪雨はすごい災害を起こすのだ。
この堤防の工事以降、堤防が決壊しても枚方の方へ水は流れず、
対岸の高槻の方へ流れると言われているが・・・・。
この近くに「水面回廊」があったなと思い出し、行ってみることに。
遠かったけどあった。
住宅街を抜けて、大きな道路の手前。
右側が淀川になっている。
三十石舟のミニチアが浮かんでいた。
桜が満開、柳の新芽が出ている。
親子連れがお弁当を食べていた。
少し景色をどうぞ。
ここから歩いて枚方公園駅へ。
そこからバスに乗って新香里へ。お花見第二段の前に、軽くお昼にした。
歩いても歩いても桜まだ桜
のばら
その様子はまたアップする。