繭 玉 抄

悲しみをおにぎりにして食べているまずいんだけどやめられなくて

 

人生の指揮者に会ってみたいんだこれから明るいと言ってほし

 

怖い顔してバイオリン弾いている彼女はきっと彼氏がいない

 

一生で何回おいしいと言うだろう何回カラフルと言うだろう

 

入選の通知がまるで来ないのは白と黒のヤギに食べられている

 

林田麻裕

繋がる五七五⑨

      おーたえつこ   消しゴム版画 辻 水音

「筑波集」を編纂した二条良基たちの時代から、1世紀以上も経ったころ、「新撰筑波集」

が完成します。これに大きくかかわった連歌師に宗祇という人がいます。この人の名前は教

科書にも載っていたのではないでしょうか。

 七十五才の宗祇主催の連歌会、「新撰筑波集祈念百韻」を見てみましょうか。

 発句、

 

  あさ霞おほふやめぐみ菟玖波山   宗祇

(大君、天皇の御威光が筑波の山の朝霞のように連歌の世界にも行き渡っております。)

 

 第一回目の「繋がる五七五」に書いた、ヤマトタケルノミコトとおじいさんの話を覚えて

おられますか? 連歌の始まりといわれる二人のやりとり。

 

 新治 筑波を過ぎて幾夜か寝つる     ヤマトタケルノミコト

  かがなべて 夜には九夜 日には十日   御火焚の翁

 

というやつ。ここから、連歌を「筑波の道」というそうです。そうだったんだ! だから最

初の勅撰連歌集は「筑波集」で、今回のは「新撰筑波集」なんですね。

 脇句は、宗祇の貴族のお友達の三条西実隆です。今回、会には出席せず、リモート参加ら

しいです。「あさ霞…」の発句に、

  新桑まゆをひらく青柳       三条西実隆

(その御代を寿ぎ青柳も美しく新芽をひらいております)

 

 

 と付けました。


     万葉集の「筑波嶺のにひくはまゆのきぬはあれど君がみけしはあやにきほしも」という歌

による付けです。「新桑まゆ」は、蚕に初めて桑をやること。「まゆ」は「繭」と「眉」の掛

詞。柳眉は美人のこと。「眉」と「ひらく」は縁語です。なかなか芸の細かい付けです。脇

句は普通、もっとあっさりとシンプルに付けますが、これは祈念百句なので、格調高く付け

たもよう。

    和歌のほう、「きぬ」は「絹」と「衣」と「着ぬ」、「みけし」は「御衣」、「あやに」は

「奇に」(不思議と、むしょうに)と「綾に」(絹の美しい織り方)、「きほし」は「着欲し」

(着たい)。筑波山の新桑繭の最高級の美しい衣よりも、あなたの着た衣が着たいものです、

   という恋の歌、結婚したいよの歌です。 

         第三句にもどって

 

  春の雨のどけき空に糸はへて    兼載(けんざい 北野社連歌会奉行)

 

春で、糸のような雨で、きれいに付けるなあ。次が

 

  しろきは露の夕暮の庭       玄宣(土佐兵庫頭明智入道 誰? でもきっと偉い人)

 

 うまく秋に転じて連歌が動き始めます。

百韻の締めのほうも見てみましょう。

 

  行く舟にあかでぞむかふ明石方   兼載(猪苗代兼載)

 

(飽きずに明石の景に対している。明石は和歌の神様、柿本人麻呂ゆかりの地。和歌の神様

お守りください、撰集編纂頑張ります! 頑張りますって言ってますが兼載さんは宗祇の

門下でありつつも、強く我が道をゆこうとし、撰集編纂にあたっては宗祇と激しく対立もし

たそうです。でも確かに、最後まで頑張ったんです。)

夜更くるまま清き灯        宗長(宗祇門下)

 

天つ星梅咲く窓に匂ひ来て     友興(赤松家人)

(灯→星 梅→連歌の守り神北野天神)

 

鶯なきぬあかつきの宿       玄清

               (河田兵庫助 玄宣さんの部下の人かな)

(鶯の鳴く夜明け。新しい撰集ができますね。うれしいことです。)


 

    宗祇は新撰集ができるのを見届けて、京都を離れて、越後の上杉家に招かれたり、駿河に

招かれたり。旅の途中、箱根で亡くなる。八十才。夜中に定家卿に会ったよってつぶやき、

「玉の緒よ絶えなば絶えね」と式子内親王の歌を口ずさみ、

 

  ながむる月にたちぞうかるる

(素晴らしい月をながめて、浮かれまわっていたな)

 

と詠んで、あとみんなで上手に繋げてねって言い残して亡くなったとか。

 

旅から旅の連歌師の人生、和歌の西行さんや俳諧の芭蕉さんや一茶さんを思わせますね。

季 湖 ワールド                 写真 季湖

    お盆あれこれ

 

 

 

 

ちちに吾に息子に似し児盆近し

 

 

墓洗ふ筋骨隆々なりし父

 

 

話したきことがぎやうさん魂迎

 

 

      松井季湖


 

 

盆入り前の墓掃除。

 

墓石に水を掛けタワシでゴシゴシ。あまりの暑さにすぐに汗

 

が吹き出します。「もうええから早よ帰れ」と父の声が聞こ

 

えた気が•••てへ。


仏壇のある、家中で一番暑い座敷。

簡単ながら盆棚が調いました。

胡瓜の馬は次女、茄子の牛は私が作りました。 

父が帰ってきました。
お迎え団子は無縁さんの分も。なのでお箸がたくさん。

 

この一年は、よくも悪くも色んなことがあり、

特に今年のお盆は待ち遠しかったです。

14日の夜中、善光寺さんに向かって出発、

お参りを終えて15日夕方に帰ってきた父を、

毎年お決まり冷たい素麺と西瓜で迎えます。

四角いのは父がよくやっていた「豆腐の湯船の醤油風呂」(^^;; 

 

コロナ前は隣町に住む息子家族と一緒にわが家で会食をしましたが、

まだお預けです。

高齢の母がいますし不安ですから。

魂送りの朝になってしまいました。
最後のごはんはあらめの煮物。

もどし汁は父が出発する出口の敷石にまきます。

道に迷わないよう無事お浄土に向かわれますようと祈りつつ。
お父さん、また来年。

元気でお迎えできるよう身体に気をつけて頑張ります。