繭玉抄
おいしそうがおいしかったになるまでの時間いっつもいい顔だよね
あの頃の私生意気だったなあ若い私の若かった頃
結婚線ぐっとまっすぐあるからさぐっとまっすぐ過ごすのだろう
元気出る写真撮りたい元気出る絵を描きたいまずは昼寝だ
お腹の中に恐竜いるわぐるぐるとぐるぐると鳴くだけなんだけど
林田麻裕
繋がる五七五⑦
おーたえつこ 消しゴム版画 辻 水音
まず、先月の文章の中に書き間違いがありまして、すみません、それを訂正させてください。
四行目に、「連句」と書いてしまっています。「連歌」です。
この時代にも連句という文芸があるのですが、そんな賢い間違いではなくて、ほんとにまっ
たく単純に間違えました。もしもプリントアウトされたかたがおられるなら、書き直してお
いてくださいませ。申し訳ありませんがお願いします。(ホームページは訂正しました)
ちなみに、この時代の連句というのは、漢詩を繋げるものらしいですよ。
さて、菟玖波集を編纂した二条良基は、自分自身も連歌を楽しみました。
この人たちの連歌は、千句のうちの百句とか五百句とか、ちゃんと繋がったものが残って
います。やっと繋がったものの価値が認められたのですね。
『文和千句第一百韻』の初折の表八句を挙げてみますね。
二条良基と、側近で師匠の救済(きゅうぜいとか、ぐさいとか読むようです。)と、救済の
弟子と、良基の家人たち、総勢十二人の一座です。【カッコの中は簡単な解説】
名は高く声はうへなし郭公(ほととぎす)侍(救済)
【名は高く上がないという座の主人二条関白へのごあいさつ】
しげる木ながら皆松の風 御(二条良基)
【しげる木、声→松の風に付く。皆松は皆待つで座の主客救済へのごあいさつ】
山陰は涼しき水の流れきて 文(権少僧都永運・救済門)
【松風→山、涼しい】
月は峰こそはじめなりけれ 坂(周阿・連歌師)
【涼しい→秋→月 山→峰 /月は峰から現れるよ】
秋の日の出でし雲まとみえつるに 素(素阿・連歌師)
【月→日、雲間 / 秋の一日は短いね】
しぐれの空も残る朝霧 暁(暁阿・不詳)
【雲間→時雨 /前句の日が出るというのを日の出ととりなして朝の景に】
暮ごとの露は袖にもさだまらで 木(木鎮・不詳)
【袖に露は和歌のお決まりなのに時雨は不安定でお決まり無視だよ】
里こそかはれ衣(ころも)うつ音 成(大江成種・二条家家人)
【袖→衣 さだまらない→変わる /でも秋に衣を打つ音はお決まりだね】
ここまで、すべて叙景句、情景を詠んだ句でほとんどが秋の句。今の連句なら変化がなさ
すぎということになりそうです。次の句から初折の裏に入ります。そこではじめて雰囲気が
変わって、
旅人のまたれしころや過ぎぬらん 侍
【お決まりっていうけれど旅をする私を待ってくれていた恋人はもういないよ】
けふより後の花はたのまず 御
【花の盛りは今だけ。花の盛りだけを見に来る旅人(恋人)は待てないのよ】
というふうに続きます。表八句、のんびりゆったり時間が流れていたと思いきや、恋人には
結構気短かですよね。
この百韻の九十八、九十九、百番目は、
ふたつの川ぞめぐりあひぬる 家(藤原家尹・良基側近)
【二つの川は貪欲と瞋恚のこと、仏教用語。二河白道は西方浄土への道】
佐保山の陰より深し石清水 御
【二つの川が合流して湧き出る美しい石清水】
ときはなる木は榊橘 侍
【石清水八幡宮には常盤木は榊と橘がこんもり茂って神々しい】
と、神徳をたたえて、めでたくおさめます。
全体的になんだか和歌が延々と続いているようにしか見えないのですが、付けるにあたっ
ては、古今和歌集などの和歌や、漢詩、仏教や神祇など、教養や知識が幅広く用いられて
いるようです。今の私たちは解説無しにはなかなか面白さを読みとれません。
最初のほうの一見変化のない叙景句でも、バックにたくさんの古歌があって、わかる人に
は色の移り変わりや、広がる世界、付け筋の巧みさが見えるのでしょうね。
(参考 新潮日本古典集成連歌集 島津忠夫校注)
季 湖 ワールド 季湖の庭のカマキリ 写真 季湖
脱皮して一回り大きく、
三ヶ所で生まれ、無数にいたのに、今では見かけるのは3匹ほどです。自然は厳しいね。