繭 玉 抄
なるようになるしかないしふわふわのバタートーストかじるに集中
新聞の一面に載る人間にならなくていいあなたがいれば
あなたってとても演技力があるね保健室って居心地いいの
弱い人を大事にしてね私より弱い人っているのかしらん
誰が見ても可愛いと言うあの子よりたっぷり本を読もうと思う
林田麻裕
繋がる五七五⑪
おーたえつこ 消しゴム版画 辻 水音
前々回、前回、和歌的な連歌というものをみてきました。
連歌には、和歌的ではない連歌もあります。俳諧の連歌です。
かはじりにふねのへどものみゆるかな 刑部卿道時(たぶん源俊頼の知り合い)
(川尻に船の舳先がたくさん見えるよ)
しほのひるとてさわぐなるらむ とししげ(道時の友人か家来?)
(潮の「干る」と、さっきの句の「へ(舳)」を「屁」と受けて、屁をひると掛けた。)
(源俊頼 散木奇歌集)
とか、
川のほとりに牛は見えけり
水わたる馬の頭やいでぬらん よみひとしらず
(一句目は普通の牛のいる景色。二句目も、馬の景色。
と見せかけて、十二支の文字、「午」の頭が出たら「牛」と
いう謎解きがはいっています。)
(筑波集)
最初のころ見た、お化けのなぞなぞの連歌なんかとよく似ています。
いと細き手にあかがりや渡るらん
(女性の細い手にあかぎれが一面にある)
日々にまさりて旅はたへがた
(あかがりが渡る→雁が渡る→旅 女性の旅の辛さ)
関守のこころはきびし銭はなし
(旅の途中の金銭的苦労)
この一連は、宗祇が一人で繋げたものです。和歌を下敷きにしていないので、現代の私た
ちにもわかりやすいです。
室町時代の末には、こういう俗な付け合いを集めた連歌集「竹馬狂吟集」ができました。
誰が集めたのかわかりません。
足なくて雲の走るはあやしきに
何をふまえてかすみたつらん
(説明要りませんね。雲も霞も、足が無いのに走るし立つし。)
つひには渡す大般若経
(とうとう大般若経を渡す)
負ほせたる六百貫を責められて
(お坊さんが六百貫も返済を迫られてたんだね。だからありがたいお経を売り渡すはめになったんだ。大般若経は六百巻あるらしい。そこも掛かってる。)
こんなかんじ。バカみたいなような、笑えるような。ここに載せてもいいのかわからない
ような下ネタも満載だし、そもそもの意味がよくわからないのもいっぱい。
それらを、もう少し整理して、わかりやすくして「俳諧連歌集」が編纂されました。山崎
宗鑑が作ったのだろうとのことです。いつのころからか、「犬筑波集」とよばれて、庶民に
広がりました。
梅やいつ痘がさひらくやどの春
(梅の花はいつひらくかな。天然痘のかさはいつ治るかな。天然痘平癒祈願)
消ゆれば治る雪のむら竹
(雪に押されてへしゃげてた竹が起き直るように雪が消えたら病気もなおりますよ)
うぐいすはおのが座敷に音を鳴きて
(なおる→座る→座敷 春の竹にうぐいす。)
たが遅参をか猶よぶこどり
(座敷で待ってるのに来ない人を呼ぶ鳥が鳴いてるよ。呼子鳥は時鳥のこと)
見わたせば山中どのもゐられけり
(山中の呼子鳥が、呼んでるけれど、見れば山中さんはもう来られてるじゃないか)
この一連はわかりやすいし読みやすいです。でも全体的には、下ネタが減ってるとは思え
ません。「ふぐり」やら「おなら」の句ばかり並んでたり。連歌は、男子しかしなかったか
らかな。幼稚園男児や中高生男子の話題みたいなのいっぱいあります。前回登場した連歌師
里村紹巴や、のちに俳諧の祖といわれる伊勢神宮神官の荒木田守武などは、「竹馬狂吟集」
や「犬筑波集」を下品すぎると批判したそうです。江戸時代に入って、こういう連歌が廃れ
ていったのは、そのせいもあったかもしれませんね。やっぱり女子が受け入れないと、文化
は残らないんだな。
それでも、宗鑑は、守武と並んで、「俳諧の祖」とよばれているのですよ。
めでたしめでたし?
参考 「竹馬狂吟集 新撰犬筑波集」(新潮日本古典集成)
木村三四吾 井口壽 校注
季 湖 ワールド
セセリチョウと初冬の庭 写真 季湖
にぎやかだった夏の庭、落ち着きを取り戻した秋の庭、そして虫の声ももう全くしなくなった初冬の庭。
私の虫観察も終わろうとしています。
そんなある日の朝、久しぶりにセセリチョウが来てくれました。
黒目ぱっちりの美人さん。
来てくれてありがとう.°ஐ.*
枯れゆく花もまた美しく心惹かれるものがあります。
銅線の瓦止め。こんな無機質なものも、美しく、面白く、見ていて飽きません。
私って変人?白いギターもらえる?(笑)