百閒先生品評会
おーたえつこ
昭和九年に百閒先生が句集を出版したとき、俳句仲間の友人たちと、先生の俳句の先生、志田素琴先生が、「百鬼園俳句帖漫評会」と銘打って百閒の俳句鑑賞の座談会を開きました。百閒さん自身も引っ張り出されています。
「俳句帖」の先頭の句、
素琴先生
春霜や箒に似たる庵の主
その先生と仲間たちが集まって、わいわい。
「そのとき(百閒たちの学生時代)、先生の髪はぼうぼうとしていましたか。」「ぼうぼうでしたよ。」
「こんなふうに、(手真似で)上に突っ立ってた。」
とか、
広庭に虻が陰喰ふ日向かな
「この陰って何ですか。」と聞かれて、
「虻がかげを食ってる。」と百閒。
「それなら影です。」
と先生に字を直されたりちゃったりとか。
後に百閒さんは、この日のことを随筆に書きました。この会話の直前、疲れた百閒さんは座談会を抜け出します。そしてトイレに入った百閒さんは、なんということか、財布を懐から、するん、ぽとんと落としたんです。
当時のトイレ、ウォシュレットじゃないですよ。ほんとにするーん、ぽっとんだったでしょうね。
形無き雲澄むに柳散るしきり
「これは新傾向時の句だが形無き雲がうまい。」
「当時よく流行した。」
百閒さんも碧梧桐の影響を受けてたことあるんだね。なんとなくうれしい。
繭玉抄
林田麻裕
父さんは有給休暇よく寝てるリモコンぎゅっと握ったままで
夏休み皿拭くように置くように一日一日終わっていくよ
まだどこの店もシャッター開いてない腕を広げて燕になろう
僕がもし小さく小さくなれたなら夏の燕の背に乗りたいな
納豆を食べるのが好き名字まで納豆さんに変えてもいいよ
blue eyes
松井季湖
二度三度身じろぐ猫の目の先にプライドといふ
猫用トイレ
もう閉ぢぬみなが愛したblue eyesしまひ込んだか家族の情景
余力あらば家族の匂ひ吸ひ込めよ最期の空気
肺葉を出て
また息をせぬかと猫のなきがらをキャットミントで
埋め尽くすなり
撮りためし猫の画像を追ひをれば鳥の声して
しらじらと朝
くり 逝く
松井季湖