繭玉抄

ドッヂボールしている声が背中押す坂を上ればあなたに会える

 

好きなんてとても言えない君の影踏んで歩くの精一杯で

 

泣くための準備はとうにできている大きな傘をガッと開いた

 

僕あてのうれしい便りないですか郵便屋さんの背中見つめる

 

ただいまと言えばルイボスティー香るこれがわが家の香りなんだわ

 

 

林田麻裕

繋がる五七五 ①

          おーたえつこ

   私たち瓔連句部では、ときどき歌仙を巻いて遊んでいます。みんなで五七五、七七と繋げて詩(というのでしょうか、

 歌というのでしょうか)を作っていくのですが、こういう遊びは、いつからどうやってはじまったのでしょうね。

 

 辞書で「連句」を引いてみると、「俳諧の連歌」という言葉が出てきます。「連歌」というジャンルのうち、俗の世界や

日常生活を扱い滑稽や諧謔味のあるものということです。

 

 

じゃあ、連歌って?

最初に連歌をしたのは、ヤマトタケルノミコトなんだって。ヤマトタケルノミコトが東国に遠征中、酒折の宮(山梨県)というところで、

 

 新治 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる

 

と、四七七の片歌(こういう半分の歌のこと。この時代には、五七だけでなく、四七や、五六などもよくある。)を歌いかけたところ、御火焚の翁(誰?焚火当番のお爺さん?)が、

  

かがなべて 夜には九夜 日には十日を

 

 

と続けて、ご褒美をもらったそうです。茨城県の筑波を過ぎてから、もうどのくらい寝たかなあって質問して、十日ぐらいですって答えただけなんですけど。お互いに歌うことに意義があるのです。歌は身分を越えて繋がる。


古事記の物語では会話が歌になることが多い。せりふの途中から突然歌が始まる

ようすは、まるでオペラかミュージカル。中でもヤマトタケルはよく歌います。亡くなる

少し前、故郷を恋しいと歌った歌は有名です。

 

  倭は 国のまほろば たたなづく 

   青垣 山隠れる 倭しうるわし

 

  はしけやし 我家の方よ 雲居たちくも

 

「はしけやし」の片歌のあと急に病が悪化して、もう一つ恋人に宛てた歌を

歌って亡くなる。

 

  このとき、誰かが後を付けてあげることができたら、元気を回復したのかもと

 想像してしまいます。

 季 湖 ワールド

 

 

素敵な感覚で写真を撮り、俳句をつけて

送ってくれる季湖さん。

スマフォを一番使いこなしているな。

 

今回は忙しい中

 

  ひまじんです(^^;    と写真を送ってくれた

 

  皆さん楽しんでください。